介護は癒す、医療は治す?

ひまわりの日常

先日、入居者様の定期往診に来ていただいている医師によるIC、つまりインフォームド・コンセントに立ち会いました。

数年前から患っておられるがんが進行し、状態があまり良いとは言えず、CT検査の結果を踏まえ、今後の方針について考えるために設けられた時間でした。

終の住まいとして入居されることの多い介護施設で働いていると、「人生の最期の迎え方」について考える機会がよくあります。

よくあるのですが、どれだけ対話や相談を重ねたとしても、一緒に答えを探す過程はいつも難しく、何が正解で、これで本当にいいのだろうか…と考えます。

今回、医療的な方針が大きな選択の鍵となる状況であったこともあり、医師による本当に分かりやすい病状説明を一緒に受けることができました。

お陰でまた、新しい視点で尊いひとつの人生の最期の迎え方を一緒に考えられたような気がします。

ICには本人様の娘様と息子様が出席され、ご家族の暖かくまっすぐな気持ちにも触れられました。

とても大切で難しい意向決定の場において、改めて人が人を想う、人であるが故の幸せを感じさせていただきました。

内容に関しては、当然個人情報であり、大切な想いであるからこそ、今回この場ではこれ以上は記しません。

今回お伝えしたいのは、在宅診療における、医師の医療に対する考え方がとても素晴らしいと思ったことです。


私は将来介護の仕事をしたいと思ったとき、少ない数ではない大人たちから、介護士より看護師を目指したら?と言われました。

介護職の皆さん、「看護師になったら?」は結構あるあるワードじゃないですか?

ただ、そもそも看護師は私には務まらないと思っていたことは前提として、あくまでも高齢者に対して介護がしたいと思っていた私は、当時、恐らく高校生の頃、出逢って「これだ!」と思った言葉があります。

それは、「医療は治す仕事、介護は癒す仕事」。

もちろん、医師や看護師は患者を癒していないと思っているという訳では全くありません。

特に、癒しを与えられる看護師さんは、病院にも、そして介護現場にもたくさんいらっしゃいます。

ただ、介護現場に限定したとしても、医療職がご利用者様の痛みや疾病を治すのならば、自分は人と、その人の心を癒すことに徹せられる人になろう。
確かにそう思いました。

そして、介護福祉士になって10年、これが間違いだったと思ったことはありません。

癒せているかどうかはこちらが決めることではないので分かりませんが、癒しを与えられる仕事であることに確かな喜びを感じてきました。

しかし、今回の医師によるICを受けて、「医療は治す仕事」の部分の捉え方を少し間違っていたかもしれないと思いました。


本当に、現在の病状においても「本人様らしさ」を大切にし、その本人様を想うご家族様たちの気持ちにも寄り添ったICの場を見せていただいたのですが、病状説明の中でこのような医師からのお話がありました。

例えばある患者が肺炎を患っている場合。
医師は肺炎という疾病に対して治療を行うのではなく、肺炎によって苦しむ患者の苦痛を取り除くために治療を行う。

暖かい衝撃でした。

今は良くも悪くも医療が発達し、止まった心臓を機械で動かすこともできる。
当然、できるからと言ってなんでも施すのではなく、治療した先のその人の生活や人生を踏まえた望みを聞いて然るべき処置や処方を行う、と。

だから、身体に負荷をかける積極的な治療でなくても、苦痛をできる限り取り除き、本人様らしい生活を在宅診療において一緒にお手伝いできますよ、といったお話でした。

おこがましい表現になりますが、その人の心や生活を支え、癒そうと介護を行う介護職と同じだな、と思いました。

当たり前ですが、私たち介護職は、誰か、ただの人、に対して介護を行うのではなく、「その人」、「その人」の生活、「その人」の人生に対して考え、分析し、関わり合います。

もちろん、排泄介助、食事介助、など、介助そのものを行うことが介護なのではありません。

その人の生活や未来を見据えた上で必要な介助だから行います。

「その人」がいて、必要な医療、介護それぞれの視点があって、その人の気持ちや生活、最期を支えることができる。

同じ視点もあれば、違う視点もある。

だからこそ、どちらも不可欠で、一緒に支えられる。

治すか、癒すか、なのではなく、治すから癒すことができ、癒すから治すことができる。

当たり前ですが、中心にいるのはお一人おひとりの「その人」です。

だから、介護職として、今はさらに医療も必要とする方に入居していただく施設の施設長として、もっと医療知識を深めたい。

そんな風に感じられた医師のお話でした。

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